横川〜可部間の 電化区間 |
105系が主力で2両もしくは4両編成 朝夕のラッシュ時は103系や115系 が4両編成で |
![]() 115系(クハ115-300) 瀬戸内色 |
![]() 103系 1200番台 |
可部〜三段峡間の 非電化区間 |
キハ23型・キハ40型使用 朝夕のラッシュ時は2両編成 日中は単行運転 |
![]() キハ40 広島色 |
![]() キハ23 広島色 |
横川駅 (よこがわ) 明治30年9月 西区横川町 3丁目 |
![]() 広島の七つの川の本流は「本川」といわれ、広島別院の北岸で分かれた川を「横川」という。 広島市内の川の流れる方向としてはめずらしい。 本線下り線のホームと駅本屋との間を新幹線の高架橋が走る。 ![]() |
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三滝駅 (みたき) 明治42年11月 三滝本町2丁目 |
![]() 三滝寺は通称三滝観音と呼ばれ、真言宗高野山派に属している。朱に輝く多宝塔と本尊の阿弥陀如来像は重要文化財に指定されている。駅から徒歩15分。参道にはおよそ三百体の石仏、石像が並ぶ。 |
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安芸長束駅 (あきながつか) 明治42年11月 安佐南区長束4丁目 |
国名「安芸の国」と地名「長束」をとりいれた駅名。研究家や古老によれば「長塚」と書いていたものがいつの時代からか「長束」と呼ばれる。甲斐の武田信玄公と同じ流れの武田氏の居城、銀山城跡(武田山)が広島県文化財史蹟に指定されている。 | ||
下祇園駅 (しもぎおん) 明治42年11月 安佐南区祇園3丁目 |
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古市橋駅 (ふるいちばし) 明治42年11月 安佐南区古市3丁目 |
![]() 当時鉄筋の橋は珍しく、立派なもので名所の一つとしてあげられていたとか。この橋の近くに設けられた駅で古市橋の名をとり、古市橋駅としたものとおもわれる。 |
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大町駅 (おおまち) 平成6年8月 安佐南区中須 |
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緑井駅 (みどりい ) 明治43年12月 安佐南区緑井4丁目 |
![]() 駅より国道54号方面一帯は開発により一大商業地域となっている。駅の南側を山陽自動車道が走り、駅のまわりには高層マンションが目立つ。 室町時代よりこの地の井戸は枯れないことで有名(井戸の跡がある)その周囲の樹は綺麗な緑で、ここから緑井の地名となったという。 |
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七軒茶屋(しちけんぢゃや) 明治43年12月 安佐南区緑井7丁目 |
![]() 道筋に7軒の民家があり、その中に旅人の休息所として農業を営みながら茶店を兼業し生活をたてていたことから、松原でありながら七軒茶屋という。 |
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梅林駅 (ばいりん) 明治43年12月 安佐南区八木3丁目 |
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上八木駅 (かみやぎ ) 明治43年12月 安佐南区八木8丁目 |
明治43年当時梅林・中八木・大田川橋駅と八木村には三箇所の駅が設けられたが、昭和九年の国鉄移籍にともない中八木・大田川橋駅を併合して現在の位置に新設、電車4両分の屋根なしホームと、三角屋根の幅の狭い建物の左側半分を取り払ったような形の駅舎がある無人駅。広島市のベッドタウンとなり昔日の面影は無い | ||
中島駅 (なかしま) 昭和31年6月 安佐北区可部南1丁目 |
旧中島村は、西に大田川、東に根の谷川と前後左右川水に囲まれあたかも島のような形で、可部に向かって右へゆるく湾曲する。駅の入り口に林口第1踏切があり朝夕は車一台がやっとの道を乗降客で混雑する。駅の西側は国道54号線と太田川が流れる。 | ||
可部駅 (かべ) 明治44年7月 安佐北区可部2丁目 |
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![]() 可部は大田川の水利と交通の便により繁栄 高田、山県の人々が広島に出向くときは可部で一泊。 その関係で宿屋・料理屋・飲食店・日用雑貨等売る店が立ち並び、その繁栄は今をしのぐ ちなみに 僕も可部にすんでる ここより 三段峡までは 別のペ−ジだよ! 中国地方のローカル線 |
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