全列車ワンマン運転 | キハ120 浜田鉄道部 |
三次駅 みよし 昭和5年1月 広島県三次市十日市町中原 |
山陽路の広島へ67キロ、尾道へ75キロ、山陰路の松江に91キロ、江津へ106キロと中国地方の中央に位置し、古くから陰陽を結ぶ交通の要衝として栄えた。この地を通過する交通は芸備線・福塩線・三江線の鉄道網と国道54号(広島−松江)・183号(広島−米子)・184号(尾道−松江)・375号(呉−大田)等の主要幹線道がある。「みよし」のあけぼのは、出雲と大和の両文化の交流史に始まったものとみられる。大正5年に現在の三次駅より西のほうに備後十日市駅が開業。これが昭和8年に三次駅の現在地へ移転し、同29年に三次駅と改称。駅舎には軽食喫茶・旅行センター等の旅客施設と三次鉄道部の事務室がおかれる。 |
尾関山駅 おぜきやま 昭和30年3月 三次市三次町 |
三次の名所、尾関山公園(春は桜・つつじ、初夏の青葉、秋の紅葉、冬の雪景と優れた自然公園)のふもとにあり、北に尾関山トンネル、西に桜並木がつづく可愛川(山県郡大朝を源流として島根に入ると江の川となる)の土手、東南に三次市の市街地。南には可愛川、西城川、馬洗川の合流地点があり、この三つの川にて6月中旬から9月中旬まで鵜飼が行われ、遊覧船のなかでアユ料理をたのしむことができる。 |
粟屋駅 あわや 昭和30年3月 広島県三次市粟屋町 |
古くは「和名抄」に高田郡粟屋郷とあり、粟 屋は青屋とも書いた。治承3年(1179)、 高倉天皇の御代、民部太夫平景弘が補任され、この地に来て粟屋氏と称したといわれ、町内の勝山は三吉新兵衛隆信が青屋城を築いた。 |
長谷駅 ながたに 昭和30年3月 広島県三次市粟屋町長谷 |
切りたった斜面の途中にある駅。急な階段をおりると細い道路があり、可愛川がある。 駅から見わたすことができ、三次に向かって、川と道路と鉄道は左へ左へと曲りずっと先までつづく。 |
船佐駅 ふなさ 昭和30年3月 広島県高田郡高宮町大字船木 |
この地は町内に古墳二百余りが現存するところから古代より開けた郷であったと想像できる。 駅のある元船佐村は大字舟木と大字佐々部(戦国時代毛利氏の臣佐々部氏の居城があった)から成り立つための名称。 |
所木駅 ところぎ 昭和31年7月 広島県高田郡高宮町大字所木 |
可愛川がゆるやかに流れる渓谷美、土地は狭いが肥沃で斜面に石積みの段々畑、対岸に国道375号線。そんな緑あふれる風景の中真っ赤な吊橋が架かっているのが絵になる。そんな風景の中に駅がある。 |
信木駅 のぶき 昭和30年3月 広島県高田郡高宮町大字佐々部 |
戦国時代毛利氏の臣佐々部氏の重臣信木氏の居城「信木城」がこの地にあったことから「信木」の名がつけられたものと伝えられる。この付近には信木・所木・舟木・作木と木のつく地名が多いが、これは広島県に入って可愛川とも呼ばれる江の川を利用して木材の運搬をしていたことによるものと思われる。 |
式敷駅 しきじき 昭和30年3月 広島県高田郡高宮町大字佐々部 |
地名の由来は、昔後鳥羽上皇が隠岐の島に流され、この地にかかられた時に、病となり亡くなられたという。葬儀当日この「尊い方」のため、式場には敷物を敷いて葬ったと伝えられるところから「式敷」という。 |
香淀駅 こうよど 昭和38年6月 広島県双三郡作木大字門前 |
南部の中心「香淀」が駅名。この地名は明暦年間(1655〜1657)の検地のときまでは、「江淀」と書かれていて香淀の目の前は江の川の流れが大きく曲折するため、「河よどむ」からとられた地名という。三江線が開通する前は、地域の人々は江の川を舟で行き来したという。江の川は陰陽を結ぶ重要な交通路で、江の川は、香淀から宇都井にかけ山脈のわずかなすきまを南から北へ向かって流れこんでいるため、江の川をたどれば峠越えをせずに、1千メートル級の山々を往来することができた。 |
作木口駅 さくぎぐち 昭和38年6月 島根県邑智郡羽須美村大字上田 |
駅は島根県邑智郡羽須美村にあるが利用者は広島県双三郡作木村作木地区の人が利用している状態で、作木村の玄関口であることからの名称。 村名の起源は「毛利軍記」によると、天文年間に上作木地区の小屋谷山に福原城があり、その城主の佐々木新左衛門の名に由来するという。 |
江平駅 ごうびら 昭和38年6月 島根県邑智郡羽須美村大字上田 |
三江線が開通する前は、地域の人々は江の川を舟で行き来したという。江の川は陰陽を結ぶ重要な交通路で、江の川は、香淀から宇都井にかけ山脈のわずかなすきまを南から北へ向かって流れこんでいるため、江の川をたどれば峠越えをせずに、1千メートル級の山々を往来することができた。 江平地区は船着場であったという |
口羽駅駅 くちば 昭和38年6月 島根県邑智郡羽須美村大字下口羽 |
口羽ー浜原間30キロ弱の区間開通の昭和50年8月までは三江南線の終着駅。古い商家もあり、かっては牛馬の家畜市が盛んで中国地方の三大市場の一つ。清く豊かな出羽川により鯉や鮎の養殖が盛んで、かじかや源氏蛍も多く生息。駅前にはタクシーが待機し、これらの資源により最近は「リゾートはすみ」として観光に力をいれている。 |
伊賀和志駅 いかわし 昭和50年8月 広島県双三郡作木村大字伊賀和志 |
三次より伊賀和志駅までの地域は島根県の駅も含めて三次市の経済圏に入っているので生活用品等も三次より運ばれる。 農協も三次経済連が巡回している。 |
宇都井駅 うづい 昭和50年8月 島根県邑智郡羽須美村大字宇都井 |
見渡す限り水田の中、30メートルの高さの高架橋の途中にホーム、地上とは百段あまりの階段で結ぶ。谷間に開けた狭い平地にわずかな民家と駅がある。初めての人は橋脚の上の駅には気付くことはなく、その高架橋も駅の両端でトンネルとなる。ホームには2メートルを超す高い金網のフェンスがはりめぐらされている。 |
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