山口線 小郡〜益田間 93.9kmへ
陰陽連絡線の1つとして山口県西部・九州と島根・鳥取地区との連絡を担っており,小郡〜益田〜米子・鳥取間にキハ181系特急「おき」が往復運転されている。全国各地で復活しているJRの蒸気機関車の動態保存の先駆けとなり、今も小郡〜津和野間で運転されている快速「SLやまぐち号」。
( 流れる曲は、♪好きな女の子とはじめて・・・を思い出す曲「オクラホマミキサー」)
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C57型がレトロ調に改装された12系客車を牽引するのが基本スタイルだが、年に数回はC56型との重連運転となったり、展望車のマイテ49型が連結されることもある。運転日は3月下句から11月いっぱい。 普通列車は線内のみの運転で、他線区への直通運転は無い。途中の山口で運転系統が分かれる場合があるほか、山口市の市街地の北端にあたる宮野で折返す列車も多い。
SL時代の給水塔が今なお残る。篠目駅⇔

小郡 おごおり(明治33年12月3日)山口県吉敷郡小郡町下郷
SL列車用のレトロ調ホームを設置。
周防下郷 すおうしもごう(昭和10年12月20日)山口県吉敷郡小郡町下郷
上郷 かみどう(大正3年11月2日)山口県吉敷郡小郡町土郷
仁保津 にはづ(昭和47年4月10日)山口県吉敷郡小郡町仁保津
大歳 おおとし(大正2年2月20日)山口県山口市朝田
矢原 やばら(昭和10年10月1日)山口県山口市矢原
湯田温泉 ゆだおんせん(大正2年2月20日)山口県山口市今井町
山口 やまぐち(大正2年2月20日)山口県山口市惣太夫町
上山口 かみやまぐち(昭和28年4月10日)山口県山口市道祖町
営野 みやの(大正6年7月1日)山口県山口市桜畠2丁目
仁保 にほ(大正6年7月1日)山口県山口市仁保中郷
篠目 しのめ(大正6年7月1日)山口県阿武郡阿東町篠目
長門峡 ちょうもんきょう(大正11年4月29日)阿武郡阿東町生雲東分
渡川 わたりがわ(昭和36年4月1日)山口県阿武郡阿東町生雲東分
三谷 みたに(大正7年4月28日)山口県阿武郡阿東町生雲東分
名草 なぐさ(昭和36年4月1日)山口県阿武郡阿東町地福下
地福 じふく(大正7年11月3日)山口県阿武郡阿東町地福上
鍋倉 なべくら(昭和37年7月17日)山口県阿武郡阿東町徳佐下
徳佐 とくさ(大正7年11月3日)山口県阿武郡阿東町徳佐中
船平山 ふなひらやま(昭和29年2月1日)山口県阿武郡阿東町徳佐上
津和野 つわの(大正11年8月5日)島根県鹿足郡津和野町後田
青野山 あおのやま(昭和36年4月1日)島根県鹿足郡津和野町直地
日原 にちはら(大正12年4月1日)島根県鹿足郡日原町枕滴
 駅舎に枕滴コミュニティーセンターと郵便局を併設
青原 あおはら(大正13年7月15日)島根県鹿足郡日原町富田
東青原 ひがしあおはら(昭和36年4月1日)島根県鹿足郡日原町添谷
石見横田 いわみよこた(大正12年4月1日)島根県益田市神田町
本俣賀 はんまたが(昭和45年4月1日)島根県益田市本俣賀町
益田 ますだ(大正12年4月1日)島根県益田市駅前町
⇔C57型+12系 「SL 山口号」 山口線 船平山−津和野
誰もが知ってる人気SL列車SLやまぐち号″

日本を代表する郷愁″路線
心の原風景をめぐる旅
 おそらく、日本でいちばん有名なローカル線かもしれない。「山口線」と聞けば、鉄道にまったく興味のない人でも「ああ、SLの」となるだろう。今や全国各地でSL列車は運行されているが、それでも山口線の知名度は大井川繊道と並んで群を抜いている。 山口線に「SLやまぐち号」が登場したのは1979年。国鉄からSLが姿を消して4年後のことである。すでに大井川鋳造がSL列車を運行していたが、国鉄では山口線がはじめてのことであった。

機関車にはC57形の1号機が充てられ、予備のC56形160号機と垂連で運転されることもある。車両には12系客車が用いられてきたが、平成になってレトロ風の内外装に改造されている。一等展望車マイテ49が連結される日もある。欧風、明治風、大正風、昭和風と各客車毎にレトロ風の改装が施されている。

⇔SLやまぐち号の出発駅、新山口駅。レトロな雰囲気がSLのイメージにぴっ たり、時刻表もレトロ調に変更されている。
山口線(やまぐちせん)は、山口県山口市の新山口駅から島根県益田市の益田駅に至る。陰陽連絡線のひとつ。山口線の楽しみは,何といっても「SLやまぐち号」小郡一津和野間を往復している。運転日は夏休みなど,休日中心。津和野では3時間近い折り返し時間があり、ちょっとした散策も楽しめる。C57の牽く「SLやまぐち号」 の走る路線として有名。山陰の小京都「津和野」も、ぜひ訪ねたい。中国山地西部、山口県中部から島根県西端にかけての地域を北東から南西に横断する陰陽連絡路線。沿線には山口県の県都山口市や「山陰の小京都」と呼ばれる津和野町などを控えている。山口線で特筆されるのはSL(蒸気機関車)列車の運転である。国鉄線では1975年12月を最後に蒸気機関車列車の運転は終了していたが、地元やファンの要望により1979年8月1日からC57形蒸気機関車牽引で「SLやまぐち号」の運転が開始された。この列車の成功を受けて、国鉄からJRを通じてSLの復活運転が各地で行われるようになった。 新山口〜津和野間 C57形、C56形蒸気機関車、12系客車(SLやまぐち)
路線距離(営業キロ):93.9km  軌間:1067mm
駅数:28駅(起終点駅含む)
複線区間:なし(全線単線)
電化区間:なし(全線非電化)
陰陽連絡列車として新山口〜米子・鳥取間に特急「スーパーおき」が運転されている。山陰本線を基準とするため、普通列車と異なり新山口発が上り列車となる。全線を通して運転される列車もあるが、概ね山口駅を境に運転系統が分かれている。上下合わせ全線通しは7本・乗り換え接続は8本(平日)の計15本。新山口〜山口間は毎時2〜3本(34往復/日・うち約3分の1が宮野まで直通)、山口〜益田間は1〜2時間毎の運転で、津和野折り返しの区間列車もある。新山口〜山口間には快速「やまぐちライナー」が運転されている。山口市の都市内輸送を担う山口〜新山口間は沿線に高校・大学等も多いことから乗車率は高く、終日混雑している。山口線開業以前、小郡〜山口間に大日本軌道(大軌)山口支社の軽便鉄道が存在していたが、国鉄山口線の開業に伴い、1913年2月19日限りで廃止された。
1913年(大正2年)2月20日 - 山口線 小郡(現在の新山口駅)〜山口間が開業。
1917年(大正6年)7月1日 - 山口〜篠目間が延伸開業。
1918年(大正7年)4月28日 - 篠目〜三谷間が延伸開業。
1918年(大正7年)11月3日 - 三谷〜徳佐間が延伸開業。
1922年(大正11年)8月5日 - 徳佐〜津和野間が延伸開業。
1923年(大正12年)4月1日 - 津和野〜石見益田間が延伸開業し全通。
1973年(昭和48年)10月1日 - 山口線から蒸気機関車が引退し無煙化。
1979年(昭和54年)8月1日 - 「SLやまぐち号」運転開始。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により西日本旅客鉄道が承継。日本貨物鉄道が全線の第二種鉄道事業者となる
1990年(平成2年)6月1日 - ワンマン運転開始。
2003年(平成15年)10月1日 - ダイヤ改正。JR発足後初の減便。
2004年(平成16年)3月13日 - 快速「やまぐちライナー」運転開始。

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