【金子みすず】 (本名:テル)1903年、現在の山口県長門仙崎生まれ 大正期の童謡ブ−ムを背景に童謡を書き始め、児童文学雑誌への投稿作品は選者の西条八十らからも称賛された。26歳で自ら命を絶ち、散逸していた作品は、没後半世紀を経て児童文学者の矢崎節夫さんらの手で編纂され、84年500余編を、収録した全集が刊行された。実家が、書店で、文学少女だった、彼女。20歳の頃から、童謡を書き始め感性豊かな作品を、短い期間に多数発表した。が、幼いときに父を亡くしたため、22歳のときに、家のために結婚したが、夫は童謡を書くことを禁じ一人娘が3歳のときに離婚。そして、自らの命も絶つことになる。 みすずの詩には、見えないもの、弱者へのやさしさがあふれている。みすずは、詩作を禁じられてから、3冊の手帳に、丹念に自作の詩を清書して残している。それぞれに題名がついている。 ⇔つもった雪 上の雪 さむかろな。つめたい月がさしていて。 下の雪 重かろな。何百人ものせていて。 中の雪 さみしかろな。空も地べたもみえないで。 ⇔ つ ゆ だれにもいわずにおきましょう。 朝のお庭のすみっこで、花がほろりとないたこと。 もしもうわさがひろがって、はちのお耳へはいったら、わるいことでもしたように、みつをかえしえにゆくでしょう。 ⇔さびしいときわたしがさびしいときに、よその人は知らないの。 わたしがさびしいときに、お友だちはわらうの。 わたしがさびしいときに、お母さんはやさしいの。 わたしがさびしいときに、ほとけさまはさびしいの。 ⇔こころ おかあさまは おとなで大きいけれど、 おかあさまの おこころはちいさい。 だって、おかあさまはいいました、ちいさいわたしでいっぱいだって。 わたしは子どもで ちいさいけれど、 ちいさいわたしの こころは大きい。 だって、大きいおかあさまで、まだいっぱいにならないで、いろんなことをおもうから。 ⇔花のたましい ちったお花のたましいは、 みほとけさまの花ぞのに、 ひとつのこらずうまれるの。 だって、お花はやさしくて、おてんとさまがよぶときに、ぱっとひらいて、ほほえんで、 ちょうちょにあまいみつをやり、人にゃにおいをみなくれて、風がおいでとよぶときに、 やはりすなおについてゆき、なきがらさえも、ままごとのごはんになってくれるから。 ⇔みんなをすきに わたしはすきになりたいな、何でもかんでもみいんな。 ねぎも、トマトも、おさかなも、のこらずすきになりたいな。 うちのおかずは、みいんな。 おかあさまがおつくりになったもの。 わたしはすきになりたいな、だれでもかれでもみいんな。 お医者さんでも、からすでも、のこらずすきになりたいな。 世界のものはみイ んな、 神さまがおつくりになったもの。 ⇔大漁 朝焼小焼だ 大漁だ 大ば鰯の 大漁だ 浜は祭りの ようだけど 海のなかでは 何万の 鰯のとむらい するだろう ⇔星とたんぽぽ 青いお空のそこふかく、海の小石のそのように、 夜がくるまでしずんでる、昼のお星は目に見えぬ 見えぬものでもあるんだよ、見えぬものでもあるんだよ。 ちってすがれたたんぽぽの、かわらのすきにだあまって、春のくるまでかくれてる、 つよいその根は目に見えぬ。 見えぬけれどもあるんだよ、見えぬものでもあるんだよ。 ⇔次からつぎへ 月夜にかげふみしていると、「もうおやすみ」とよびにくる。 (もっとあそぶといいのになあ。) けれどかえってねていると、いろんなゆめがみられるよ。 そしていいゆめをみていると、「さあ学校」とおこされる。 (学校がなければいいのになあ。) けれど学校へでてみると、 おつれがあるから、おもしろい。 みなでしろ取りしていると、お鐘が教場へおしこめる。 (お鐘がなければいいのになあ。) けれどお話きいてると、 それはやっぱりおもしろい。 ほかの子どももそうかしら、わたしのように、そうかしら。 ⇔草の名 人の知ってる草の名は、 わたしはちっとも知らないの。 人の知らない草の名を、 わたしはいくつも知ってるの。 それはわたしがつけたのよ、すきな草にはすきな名を。 人の知ってる草の名も、 どうせだれかがつけたのよ。 ほんとの名まえを知ってるのは、空のお日さまばかりなの。 だからわたしはよんでるの、わたしばかりでよんでるの。 ⇔こよみと時計 こよみがあるから こよみをわすれて こよみをながめちゃ、 四月だというよ。 こよみがなくても こよみを知ってて りこうなお花は 四月にさくよ。 時計があるから 時計をわすれて 時計をながめちゃ、 四時だというよ。 時計はなくても 時間を知ってて りこうなとりは 四時にはなくよ。 ⇔あるとき お家のみえる角へきて、 おもいだしたのあのことを。 わたしはもっと、ながいこと、すねていなけりゃいけないの。 だって、かあさんはいったよ、「ばんまでそうしておいで」って。 だのに、みんながよびにきて、わすれてとんで出ちゃったの。 なんだかきまり悪いけど、 でもいいわ、 ほんとはきげんのいいほうが、きっと、かあさんはすきだから。 しかられるにんさん にいさんがしかられるので、さっきからわたしはここで、 そでなしのあかい小ひもを、むすんだり、といたりしている。 それだのに、うらの原では、さっきからしろ取りしている、 ときどきはとびもないている。 ⇔なしのしん なしのしんはすてるもの、だから しんまで食べる子、けちんぼよ。 なしのしんはすてるもの、だけど そこらへほうる子、ずるい子よ。 なしのしんはすてるもの、だから ごみばこへ入れる子、おりこうよ。 そこらへすてたなしのしん、ありがやんやらひいてゆく。 「ずるい子ちゃん、ありがとよ。」 ごみばこへいれたなしのしん、ごみ取りじいさん、取りに来て、だまってごろごろひいてゆく。 ⇔ゆめとうつつ ゆめがほんとでほんとがゆめなら、よかろな。 ゆめじゃなんにも決まってないから、 よかろな。 ひるまの次は、夜だってことも、わたしが王女でないってことも、 お月さんは手ではとれないってことも、 ゆりのなかへははいれないってことも、 時計のはりは右へゆくってことも、死んだ人たちゃいないってことも。 ほんとになんにも決まってないから、 よかろな。 ときどきほんとをゆめにみたなら、よかろな。 ⇔土 こっつん こっつん ぶたれる土は よいはたけになって よい麦生むよ。 朝からばんまで ふまれる土は よいみちになって 車を通すよ。 ぶたれぬ土は ふまれぬ土は いらないか。 いえいえそれは 名のない草の おやどをするよ。 ⇔足ぶみ わらびみたよな雲が出て、 空には春がきましたよ。 ひとりで青空みていたら、 ひとりで足ぶみしましたよ。 ひとりで足ぶみしていたら、 ひとりでわらえてきましたよ。 ひとりでわらってしていたら、 だれかがわらってきましたよ。 からたちかきねが芽をふいて、 小みちにも春がきましたよ。 ⇔朝顔のつる 垣がひくうて朝顔は、どこへすがろと さがしてる。 西もひがしもみんなみて、さがしあぐねて かんがえる。 それでもお日さまこいしゅうて、 きょうも一寸 またのびる。 のびろ、朝顔、まっすぐに、納屋のひさしが もう近い。 ⇔こだまでしょうか 「遊ぼう」っていうと 「遊ぼう」っていう。 「ばか」っていうと 「ばか」っていう。 「もう遊ばない」っていうと 「遊ばない」っていう。 そうして、あとで さみしくなって、 「ごめんね」っていうと 「ごめんね」っていう。 こだまでしょうか、 いいえ、だれでも。 ⇔日の光 おてんと様とお使いが そろって空をたちました。 みちで出会ったみなみ風、(何しに、どこへ。)とききました。 ひとりは答えていいました。 (この「明るさ」を地にまくの、みんながお仕事できるよう。) ひとりはさもさもうれしそう。 (わたしはお花をさかせるの、世界をたのしくするために。) ひとりはやさしく、おとなしく、 (わたしはきよいたましいの、のぼるそり橋かけるのよ。) のこったひとりはさみしそう。 (わたしは「かげ」をつくるため、やっぱり一しょにまいります。) ⇔不思議 私は不思議でたまらない。 黒い雲からふる雨が、銀にひかっていることが。 私は不思議でたまらない、 青い桑の葉たべている、蚕が白くなることが。 私は不思議でたまらない、 たれもいじらぬ夕顔が、ひとりでぱらりと開くのが。 私は不思議でたまらない、 誰にきいても笑ってて、あたりまえだ、ということが。 ⇔お魚 海の魚はかはいさう。 お米は人につくられる、 牛は牧場で飼はれてる、鯉もお池で麩を貰ふ。 けれども海のお魚は なんにも世話にならないし いたづら一つしないのに かうして私に食べられる。 ほんとに魚はかはいさう。 ⇔こほろぎ こほろぎの 脚が方つぽ もげました。 追つかけた たまは叱つて やつたけど、 しらじらと 秋の日ざしは こともなく、 こほろぎの 脚は片つぽ もげてます。 ⇔私と小鳥と鈴と 私が両手をひろげても、お空はちっとも飛べないが、飛べる小鳥は私のように、地面(じべた)を速くは走れない。 私がからだをゆすっても、きれいな音は出ないけど、 あの鳴る鈴は私のように たくさんの唄は知らないよ。 鈴と、小鳥と、それから私、みんなちがって、みんないい。 ⇔さびしいとき わたしがさびしいとき、 よその人は知らないの。 わたしがさびしいとき、 お友だちはわらうの。 わたしがさびしいとき、 お母さんはやさしいの。 わたしがさびしいとき、 ほとけさまはさびしいの。 ⇔愛それは行動です 愛 それは 言葉ではなく 汗をながすこと 愛 それは 言葉ではなく 捧げあうこと すべての 喜びを ともに分け合い 悲しみ 苦しみを ともに歩むこと 愛 それは 言葉でなく 永遠につづくもの 愛 それは 言葉ではなく 信じあうこと |
|
|