見えない世界に何かがある 私たちのからだや食べ物、本や机等は目に見える物質でできています。 いろいろなものが組み合わさって、物質を構成しています。 その物質をどんどん細かくしていくと、原子核や電子から成る風割になります。 また、原子核をどんどん細かくしていくと、噺刊や剰悌割になります。 またまた、陽子や中性子を細かくすると、クオークといった素粒子と呼ばれるものになります。 原子=化学的な方法ではそれ以上分割不可能な物質の、基本的な構成単位粒子のこと 陽子・中性子=ともに原子核を構成するもの 私たちのからだを含めて、物質のおおもとは電子やクオーク等の素粒子から成り立っています。 物をどんどん細分化して行った時に行き着く先の、最も小さい物質が、クオークや電子なんだ。 この原子核や素粒子等のミクロな世界の振る舞いを記述したものに「量子論」(量子力学) があります。 その 「量子論」によれば、ミクロな世界では、物質=波動でもあり、粒子でもあるという【二重性】を持っています。 ある時は波であり、また、ある時は粒子になっているのですね。 日に見えない波と見える粒子という、全然違った面を持ち合わせている、ということになります。とっても不思議な話ですね。 波動=単に波とも呼ばれ、(海や湖などの)波のような動き全般のこと宇宙を含むこの自然は、全てこの【二重性】を持っています。 目に見えるものの別の側面は、目に見えないものなのです。 また、「宇宙論」においては、最新の観測結果から、この宇宙は9割以上が目に見えないもので構成きれていることが解ってきました。 従って、見えるものばかりではない、見えない中に多くの真実が含まれていると言えます。 人である私たち自身も、この【二重性】を持っており、宇宙という見えないもので覆われている世界に住んでいることになります。 そして、人を物質やエネルギーの観点で捉えたら、人=物質・見えない物賞・見えないエネルギーで構成されている、と言うことができるのですね。 決して、見えるものが全てではないとういうこと。むしろ、見えないものの方が遥かに大きいのですね。 だとしたら、こころや精神といった世界や、自然が織り成す見えないものに目線を移すこと、感じること、そして深い気づきを得ることは、生きる上での大きなヒントとなると感じています。 見えないものの中に、見えるもの以上のものがある″ …そんな世界なのだと思います。 物賞とは… 波であり 粒子なのだ! 全ては好い加減 〜《物質の二重性》〜 ◆物質は、変化するー・ 素粒子や原子核といったミクロな世界の振る舞いを記述したものに「量子論(量子力学)があります。 1920年代に幾人の天才たちが完成させた理論で、それまでの物理学のみならず、世界の成り立ちや捉え方、考え方を大きく変えたものです。 未だに議論が続いている項目もありますが、「相対性理論」と並んで現代物理学の基礎となっています。 その「量子論」によれば、素粒子や原子核等のミクロな世界では、◆物賞は波動でもあり粒子でもある◆ というふたつの面を持った 【二重性】を持っています。素粒子や原子核を観測しようとすると、それまで波動だったものが瞬時にして粒子となって観測されます。観測されるまでは、何処にいるのか、どの状態にいるのかは解りません。 逆に言えば、誰にも見られていない時には波になっているのですね。しかも、何処にいるのか解らない住所不定状態なのです。 また、【不確定性原理】 によると、速度を確定させれば位置が決まらず、位置を確定させれば今度は速度が決まらないということになります。 同じことが、時間とエネルギーの関係でも言えます。不確定原理=2つの物理量の組み合わせにおいては、同時に2つを確定することはできないという理論 物質は、人が見ていない時には、住所不定の波だなんて…。 非常に不思議な振る舞いをしますね。 ◆物事に絶対はない これは、自然をあるがままの状態で観測することはできないということを意味します。つまり、自然の本質は曖昧なのです。 本来は絶対的なことや確定的なことを嫌うのが自然の姿だと言えます。 それまで語られていた、「未来は自然の法則に基づいてただひとつに決まっている」という世界観を全面的に否定するものです。 自然は整然としたシンプルなものでも、予測可能で規則正しい機械仕掛けのようなものでもないのですね。 また、人が観測することで自然の状態が決まるという考え方は、人は自然の一部であるという東洋思想の「一元論」に近いものです。 観測によって自然に影響を及ぼしてしまうのです。従って、 人=自然の一部なのですね。 一元論=一つの実体から現実が成り立っている そして、 未来は確定などしておらず幾らでも創造できる″ …ということであり、物事に絶対はないと言えるのではないでしょうか。 物事は、ある程度の「ゆらぎ」の幅を持って、好い加減・・・な感じが、丁度良い塩梅″なのだと思います。 |
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