境線 米子〜境港間 7・9kmへ 米子〜境港間17・9kmの路線だが14駅もの中間駅があり、30分ヘッドのネットダイヤを組んでいる。米子〜後藤間2・2kmは直流電化区間だが営業列車として電車は運転されたことはなく、後藤総合車両所へ検査のため入出場する回送電車が通過するだけ。 車両はキハ40型またはキハ33型の単行運転が基本で,朝夕のラッシュ時にはキハ47型やキハ37,キハ58なども運用されている。 |
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米子 よなご(明治35年11月1日)鳥取県米子市弥生町 博労町 ばくろうまち(昭和27年7月1日)鳥取県米子市博労町 富士見町ふじみちょう(昭和62年11月1日)鳥取県米子市富士見町 後聴 ごとう(明治35年11月1日)鳥取県米子市米原 三本松口さんぼんまつぐち(昭和62年11月1日)鳥取県米子市両三柳 河崎口 かわさぐち(昭和27年7月1日)鳩取県米子市河崎 弓ヶ浜 ゆみがはま(大正6年7月1日)鳥取県米子市夜見町 和田浜 わだはま(昭和26年11月1日)鳥取県米子市和出町 御崎口 みさきぐち(昭和62年11月1日)鳥取県米子市大篠津町中沢 大篠津 おおしのづ(明治35年11月1日)鳥取県米子市大篠津町 中浜 なかはま(昭和27年7月1日)鳥取県境港市小篠津町
高松町 たかまつちょう(昭和62年11月1日)境港市高松町五輪松 余子 あまりこ(昭和7年12月22日)鳥取県境港市竹内町 上道 あがりみち(昭和27年7月1日)鳥取県境港市中野町 馬場崎町 ばばさきちょう(昭和62年11月1日)鳥取県境港市馬場崎町 境港 さかいみなと(明治35年11月1日)鳥取県境港市大正町1丁目 |
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境線(さかいせん)は、鳥取県米子市の米子駅から鳥取県境港市の境港駅に至る。JR移行後、駅を増やして大都市並みの駅間距離とし、利用しやすくなった。終点が境港駅であるため「境港線」と呼ぶ人もいるが、誤り。山陰本線の米子から弓ヶ浜半島を縦断して境港に至る盲腸線。山陰本線の一支線となっているが、建設当時は伯備線に近いルートを通る陰陽連絡線とする計画だった。山陰地方で最初に開業した鉄道でもあり、米子駅境線ホーム(○番線)の柱には、鉄道創設時に使われた一八七〇年製の双頭レールが流用され、歴史の探さを思わせる。
国鉄時代、後藤工場と呼ばれていた後藤車両所が後藤駅に隣接米子−後藤間の電化は伯備線電化に合わせて行われたもので、以来電動車両も入場するようになった。ちなみに填線で活躍しているキハ33は、この工場で製造されたもの。鉄道建設の資材運搬線として誕生。 区間(営業キロ):米子〜境港 17.9km 軌間:1067mm 駅数:16駅(起終点駅含む) 複線区間:なし(全線単線) 電化区間:米子〜後藤間電化(直流1500V)、後藤〜境港間非電化 境線の列車はすべて気動車で運転。 境港市は水木しげるの出身地であることにちなんで、水木の作品ゲゲゲの鬼太郎のイラストを書いた「三代目鬼太郎列車」「ねずみ男列車」「ねこ娘列車」「目玉おやじ列車」を運転している。これらはキハ40系気動車をペイントしたもの。 1902年(明治35年)11月1日 - 御来屋〜米子〜境間が開業。 1909年(明治42年)10月12日 - 国有鉄道線路名称設定、境線となる。 1982年(昭和57年)6月21日 - 米子駅〜後藤駅間を電化。後藤車両所(現在の後藤総合車両所)入出場列車のため。 1984年(昭和59年)8月2日 - 境港駅構内に船着場仮乗降場を開設。隠岐航路接続用に夏季に限り営業 1986年(昭和61年)11月1日 - 全線の貨物営業廃止。 1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により、西日本旅客鉄道が継承。 1993年(平成5年)10月 -「鬼太郎列車」運行開始。 1993年(平成5年)11月1日 - 一部列車を除きワンマン運転開始。 2000年(平成12年)8月26日 - 「二代目鬼太郎列車」運行。 2002年(平成14年)3月23日 - 休日の本数削減および保守工事運休導入。 2003年(平成15年)10月1日 - 高速化。 2005年(平成17年)3月1日 - 臨時快速「みなとライナー」運行。 2005年(平成17年)3月17日 - ゲゲゲの鬼太郎に登場する妖怪を駅名の愛称に採用(同年6月22日にJR西日本は、4月25日発生のJR福知山線脱線事故を受け、駅名に妖怪名を付加する一連のキャンペーンの無期延期を決めたが、11月3日から再開)。 2005年(平成17年)11月3日 - 「三代目鬼太郎列車」運行。 2006年(平成18年)2月19日 - 「ねずみ男列車」運行。 2006年(平成18年)7月8日 - 「ねこ娘列車」運行。 2007年(平成19年)2月11日 - 「目玉おやじ列車」運行。 |