特急列車の運転こそないが、グリーン指定席車を連結した急行「つやま」や普通車の指定席を設けた快速「ことぶき」が設定されているのは地方交通線としては珍しい存在だ。 急行「つやま」はキハ65+キロハ28+キハ58の編成で,中間に挟ったキロハ28はJR各社でも最後まで残った急行型グリーン車。快速「ことぶき」は6往復が設定され,朝の1往復を除く5往復には指定席が設けられている。 使用車両はキハ47型の2両または4両編成。「つやま」「ことぶき」は岡山〜津山間の運転。普通列車にはキハ120のほか,キハ47・40が基本だがキハ28・58が使用されることもある。 |
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> 中国地方のローカル線 > 津山線 運転系統としては岡山〜津山間のほか,途中で系統分割となる場合もある。岡山〜法界院という1駅だけ走る列車の設定も多いが岡山から吉備線へ乗入れて,総社まで直通する列車もある。 駅 岡山 おかやま(明治24年3月18日)岡山県岡山市駅元町1丁目 法界院 ほうかいいん(明治41年6月20日)岡山県岡山市学南町 備前原 びぜんはら(昭和4年6月20日)岡山県岡山市原 玉柏 たまがし(明治31年12月21日)岡山県岡山市玉柏 牧山 まきやま(大正元年10月10日)岡山県岡山市下牧 野々口 ののくち(明治31年12月21日)岡山県御津郡御津町野々口 金川 かながわ(明治31年12月21日)岡山県御浄郡御津町金川 建部 たけべ(明治33年4月14日)岡山県御津郡建部町中田 福渡 ふくわたり(明治31年12月21日)岡山県御津郡建部町福渡 神目 こうめ(昭和4年12月25日)岡山県久米郡久米南町神目中 弓削 ゆげ(明治31年12月21日)岡山県久米郡久米南町下弓削 誕生寺 たんじょうじ(明治31年12月21日)岡山県久米郡久米南町里方 小原 おばら(昭和31年10月1日)岡山県久米郡中央町小原 亀甲 かめのこう(明治31年12月21日)岡山県久米郡中央町原田 ![]() 津山口 つやまぐち(明治31年12月21日)岡山県津山市津山口 津山 つやま(大正12年8月21日)岡山県津山市大谷 キハ120型 津山線 弓削−誕生寺⇔ |
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津山線(つやません)は、岡山県岡山市の岡山駅から岡山県津山市の津山駅に至る。因美線と結んで陰陽連絡線を構成する路線。中国鉄道によって開通している。岡山と津山のほぼ中間福渡は、かつて旭川を上り下りする高潮舟の集結地として栄えた宿場町でもあった。現在も津山線の中核をなし,岡山一鳥取間の急行「砂丘」も全列車が停車する。 路線距離(営業キロ):58.7km 軌間:1067mm 駅数:17駅(起終点駅含む) 複線区間:なし(全線単線) 電化区間:なし(全線非電化) 中国鉄道(現在の中鉄バス)が開業した私鉄が発祥である。中国鉄道は早くから気動車を導入するなど先進的な技術を取り入れていたが戦時買収で国有化された。そのため曲線やトンネルの断面などが独自の規格となっている。典型的な中規模の非電化ローカル線で、旧岡山鉄道管理局管内では比較的早くに無煙化されたが、その後は沿線の過疎化もあって合理化され、交換設備が取り外されたり列車本数が削減されるなど徐々に利便性が悪化していた。このため、1996年に沿線自治体の資金負担や住民の募金によって高速化改造(交換設備の復活と1線スルー化)、キハ120形気動車の投入が行われ、所要時間の短縮や増発が行われた。なお、当線の高速化への取り組みは後年鳥取県や島根県が山陰本線を高速化する際に参考としている。 1898年(明治31年)12月21日 - 中国鉄道本線 岡山市〜津山間が開業。 1904年(明治37年)11月15日 - 岡山〜岡山市間が延伸開業。岡山市駅を岡山荷扱所に格下げ。 1923年(大正12年)8月21日 - 国鉄作備線として津山口〜津山間が開業。 1936年(昭和11年)10月10日 - 作備線 津山口〜津山間を姫新線に編入。 1944年(昭和19年)6月1日 - 中国鉄道の鉄道部門が国有化され岡山〜津山口〜津山間が津山線となる 1973年(昭和48年)3月13日 - 全線の貨物営業廃止。 1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により西日本旅客鉄道が承継。 1990年(平成2年)6月1日 - 岡山支社直轄から津山鉄道部管轄に変更。ワンマン運転開始。 1996年(平成8年)12月1日 - 全線高速化。 1997年(平成9年)11月29日 - ダイヤ改正で、岡山駅〜鳥取駅間を津山線・因美線経由で結んでいた急行「砂丘」の廃止により、急行「つやま」と共に、快速「ことぶき」運行開始。 1999年(平成11年)11月2日 - 津山鉄道部管轄から岡山支社直轄に変更。 2001年(平成13年)3月7日 - 「ことぶき」指定席設定廃止。 |