倉敷〜伯著大山間 伯備線 138.4kmへ
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> 中国地方のローカル線 > 伯備線 特急列車では285系「サンライズ出雲」が走っており1999年12月改正から下り列車のみ新見への停車が実現した。昼行列車では岡山〜出雲市間に381系「スーパーやくも」と「やくも」が運転されている。両特急の差は車内アコモのほか停車駅が「スーパーやくも」は主要駅となって,到達時分が短縮されており「スーパー」の面目を保っている。普通列車は途中の新見で系統分割となる場合が多く,岡山〜米子を直通している列車は少ない。岡山方では備中高梁折返し,米子方では生山や根雨折返しの区間列車も設定されている。駅 倉敷 くらしき 明治24年4月25日 A岡山県倉敷市阿知1丁目 清音 きよね 大正14年2月17日 岡山県都窪郡清音村上中島 総社 そうじゃ 大正14年2月17日 岡山県総社市駅前1丁目 豪渓 ごうけい 大正14年2月17日 岡山県総社市宍粟 日羽 ひわ 昭和31年5月15日 岡山県総社市日羽 実袋 みなぎ 大正14年5月17日 岡山県総社市美袋 備中広瀬 びっちゅうひろせ 大正15年6月20日 高梁市松山 備中高梁 びっちゅうたかはし 大正15年6月20日 高梁市胞町 木野山 きのやま 大正15年6月20日 岡山県高梁市津川町今津 備中川面 びっちゅうかわも 昭和2年7月31日 高梁市川面町 方谷 はうこく 昭和3年10月25日 岡山県高梁市中井町西方 井倉 いくら 昭和3年10月25日 岡山県新見市井倉 石蟹 いしが 昭和3年10月25日 岡山県新見市石蟹 新見 にいみ 昭和3年10月25日 岡山県新見市西方 布原 ぬのはら 昭和62年4月1日 A岡山県新見市西方 備中神代 びっちゅうこうじろ @昭和3年10月25日 新見市西方 足立 あしだち 大正15年12月1日 阿哲郡神郷町紬野 新郷 にいざと 昭和28年12月15日 阿哲郡神郷町釜村 上石見 かみいわみ 大正13年12月6日 日野郡日南町上石見 生山 しょうやま 大正12年11月28日 鳥取県日野郡日南町生山 上菅 かみすげ 大正14年4月1日 鳥取県日野郡日野町上菅 黒坂 くろさか 大正11年11月10日 鳥取県日野郡日野町黒坂 根雨 ねう 大正11年7月30日 鳥取県日野郡日野町根雨 武庫 むこ 昭和36年8月23日 鳥取県日野郡江府町武庫 江尾 えび 大正11年3月25日 鳥取県日野郡江府町江尾 伯書溝口 ほうきみぞぐち 大正8年8月10日 日野郡溝仁卿溝口 岸本 きしもと 大正8年8月10日 鳥取県西伯野岸本町押口 伯耆大山 ほうきだいせん 明治35年12月1日 鳥取県米子市蚊屋 ⇔ 285系 「サンライズ出雲号」 方谷−井倉 |
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伯備線(はくびせん)は、岡山県倉敷市の倉敷駅から新見駅を経て、鳥取県米子市の伯耆大山駅に至る。 中国山地を越えて岡山と米子を結ぶ陰陽連絡路線である。倉敷〜新見間は高梁川、生山〜伯耆大山間は日野川に沿って走る。 倉敷〜伯耆大山間 138.4km 清音〜総社間 (3.4km) 軌間:1067mm 駅数:28駅(起終点駅含む) 複線区間:倉敷〜備中高梁間、井倉〜石蟹間、新見〜布原間 電化区間:全線(直流1500V) 山陽地方と山陰地方を連絡する幹線として、岡山〜出雲市間の特急「やくも」が運行されている。また、東京〜出雲市間の寝台特急「サンライズ出雲」も伯備線を経由する。普通列車は新見駅で運転系統が分かれているが、全線を通して走る列車もある。倉敷側は全ての列車が岡山駅、伯耆大山側は全ての列車が米子駅まで乗り入れ、さらに岡山からは山陽本線や赤穂線を介し姫路駅まで(かつては西明石まで乗り入れるものもあった)、米子からは山陰本線西出雲駅まで直通する列車もある。そのため伯備線のみを走行する列車はない。岡山〜備中高梁間、生山・根雨〜米子間に区間運転列車があり、後者の一部は電化区間でありながら気動車で運転される。普通列車は全区間でワンマン運転が行われている。 岡山県内は毎時1〜2本程度、鳥取県内は1〜2時間に1本程度だが、県境区間は4時間近く設定されない時間帯がある。 また、新見〜備中神代間には芸備線の列車が乗り入れており、途中の布原駅には芸備線直通列車のみが停車する。 清音〜総社間は井原鉄道の第二種鉄道事業区間で、伯備線と施設を共用しており、井原鉄道井原線の列車も運行される。 建設は南北から進められた。最初に開業したのは北側の伯耆溝口〜伯耆大山間で1919年のこと。1926年に足立駅まで到達した。一方、南側は倉敷〜宍粟(現在の豪渓)間が伯備南線として1925年に開業。以後順次延伸され、備中川面駅まで開業したのは1927年、備中川面〜新見〜足立間が開業し全通したのは1928年のこと。ローカル線規格の丙線として建設されており、陰陽連絡線としてはあまり重要視されてこなかった。しかし1972年の新幹線岡山開業により状況は一変、米子・松江方面への短絡ルートとして整備されることとなり、キハ181系による特急「やくも」が設定された。さらに一部区間の付け替え・複線化などの改良整備が行われ、直流電化とともに振り子式電車381系が投入された。改良が行われる一方単線区間や急カーブも随所に残り、高速化の障害となっている。なお、利便性向上のため将来的にフリーゲージトレインの導入が検討されている。 1919年(大正8年)8月10日 - 伯備北線 伯耆大山〜伯耆溝口間が開業。 1922年(大正11年)3月25日 - 伯耆溝口〜江尾間が開業。 7月30日 - 江尾〜根雨間が開業。 11月10日 - 根雨〜黒坂間が開業。 1923年(大正12年)11月28日 - 黒坂〜生山間が開業。 1924年(大正13年)12月6日 - 生山〜上石見間が開業。 1926年(大正15年)12月1日 - 上石見〜足立間が開業。 1925年(大正14年)2月17日 - 伯備南線 倉敷〜宍粟間が開業。 5月17日 - 宍粟〜美袋間が開業。 1926年(大正15年)6月20日 - 美袋〜木野山間が開業。 1927年(昭和2年)7月31日 - 木野山〜備中川面間が開業。 1928年(昭和3年)10月25日 - 備中川面〜足立間が開業し全通。伯備南線が新規開業区間と伯備北線(伯耆大山〜足立間)を編入し伯備線に改称。 1968年(昭和43年)9月5日 - 清音〜総社間が複線化。 9月25日 - 総社〜豪渓間が複線化。 1970年(昭和45年)9月7日 - 豪渓〜美袋間が複線化。 1972年(昭和47年)2月23日 - 美袋〜備中広瀬間が複線化。 3月12日 - 足立〜新見間での「D51三重連」最後の運転。 3月15日 - 特急「やくも」運転開始。 1973年(昭和48年)4月1日 - 蒸気機関車引退し無煙化。 9月18日 - 備中広瀬〜備中高梁間が複線化。 1979年(昭和54年)3月13日 - 新見〜布原信号場間が複線化。 10月9日 - 倉敷〜清音間が複線化。 1982年(昭和57年)6月15日 - 井倉〜石蟹間のうち3.1kmが複線化。 7月1日 - 倉敷〜伯耆大山間が電化。特急「やくも」電車化。 1983年(昭和58年)7月26日 - 井倉〜石蟹間経路変更により1.2km短縮。同区間のうち1.4kmが複線化。 1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により西日本旅客鉄道が承継。全線で日本貨物鉄道が第二種鉄道事業者となる 1999年(平成11年)1月11日 - 井原鉄道井原線開業。清音〜総社間で井原鉄道が第二種鉄道事業者となる。 2000年(平成12年)10月6日 - 鳥取県西部地震より新郷〜伯耆大山間が不通に。10月10日復旧。 10月29日 - 前日夜発生した土砂崩れのため生山〜根雨間が不通に。11月17日復旧。 |