小野田線
小野田線
 居能〜小野田間・雀田〜長門本山間8・3kmへ

居能〜小野田間のメインルートのほか、雀田〜長門本山間の支線がある。

車両は105系とクモハ123型。雀田〜長門本山間はJRグループでも最後の20m級旧型国電であるクモハ42型で運転され初電・終電のみ宇部新川〜長門本山間を直通

⇔小野田線 クモハ42 浜河内−雀田
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居能〜小野田間のメインルートのほか,雀田〜長門本山間の支線がある。起点の居能方では全列車が宇部線へ乗り入れ,宇部新川へ直通しており、小郡まで運転される列車も上り1本のみ存在している。駅
 居能 いのう(昭和4年5月16日)山口県宇部市居能町2丁目
 妻崎 つまざき(昭和4年5月16日)山口県宇部市東須恵 
長門長沢 ながとながさわ(昭和4年5月16日)山口県宇部市来須恵
雀田 すずめだ(昭和4年5月16日)山口県小野田市小野田
小野田港 おのだこう(大正4年11月25日)山口県小野田市北竜王町
南小野田 みなみおのだ(昭和37年3月15日)山口県小野田市小野田
南中川 みなみなかがわ(大正10年8月15日)山口県小野封市中川2丁目
 目出 めで(大正4年11月25日)山口県小野田市小野田
小野田 おのだ(明治33年12月3月)山口県小野田市東高泊
浜河内 はまごうち(昭和32年6月1日)山口県小野田市小野田

長門本山 ながともとやま(昭和12年1月21日)山口県小野田市小野田
小野田線(おのだせん)は、山口県宇部市の居能駅から山口県山陽小野田市の小野田駅までと雀田駅から分岐して長門本山駅に至る。かつては石灰石や石炭輸送で賑わった。現在は山陽小野田市中心部と山陽本線小野田駅との旅客輸送が中心である。雀田〜長門本山間の支線は本山支線もしくは本山線と呼ばれ、最後の旧型国電運転区間として、2003年3月14日までクモハ42形電車が運転されていたことで有名。宇部を中心として石炭などの産栄に関わる鉄道が複雑に建設されたが、その一翼をなす路線。かつて京阪神間の“急電”(現在の快速)として活躍した旧型国電クモハ42の活躍で有名。一時期,正面に警戒色が塗られていたがワンマン化改造の際に紫色に戻されオリジナルの雰囲気をよく保っている。
路線距離(営業キロ):居能〜小野田間11.6km、雀田〜長門本山間2.3km  軌間:1067mm
駅数:11駅(起終点駅含む)
複線区間:なし(全線単線)
電化区間:全線(直流1500V)
1915年(大正4年)11月25日 小野田軽便鉄道により小野田〜セメント町(現在の小野田港)間が開業。
1943年(昭和18年)4月1日 小野田鉄道全線が国有化。小野田〜小野田港間が小野田線となる。
1947年(昭和22年)10月1日 宇部西線の新沖山〜雀田間が廃止、小野田港〜雀田間が開業(600V電化)し宇部西線と接続。小野田線を宇部西線に編入。 小野田港駅を500m南に移転、これまでの小野田港駅を小野田港北口乗降場とする。
1948年(昭和23年)2月1日 宇部西線から小野田線に改称。
1950年(昭和25年)8月10日 小野田〜小野田港間が電化され全線電化。
1952年(昭和27年)4月20日 宇部線の居能〜宇部(現在の宇部新川)間の新線が開業し宇部線の宇部新川方面と直通可能となり、居能〜西沖山間、港町〜沖ノ山新鉱間の旅客営業が廃止。
1986年(昭和61年)3月3日 貨物営業廃止。
1987年(昭和62年)4月1日 国鉄分割民営化により西日本旅客鉄道に承継。
1989年(平成元年)3月11日 宇部新川・雀田〜長門本山間でワンマン運転開始。
1990年(平成2年)6月1日 宇部新川〜小野田間でワンマン運転開始。
2003年(平成15年)3月14日 雀田〜長門本山間のクモハ42形電車この日限りで運行終了。

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