キハ40
キハ40
キハ47
キハ47
岩徳線 岩国〜櫛ヶ浜間 43.7kmへ

岩国〜高水〜櫛ヶ浜間の路線だが全列車が櫛ヶ浜から山陽本線の乗入れ徳山へ直通。

車両はキハ47型もしくはキハ40型で、車両の配置が小郡の山口鉄道部であるため車両の回送も兼ねた小郡〜櫛ヶ浜〜徳山間の直通列車も1日1往復存在している。 
第三セクターの錦川鉄道が川西〜柱野間の森ケ原信号場で合流しており、全列車が岩国まで直通運転している。使用車両はNT2000型
中国地方のローカル線 > 岩徳線

岩国 いわくに(明治30年9月25日)山口県岩国市麻里布町1丁目岩国駅
西岩国 にしいわくに(昭和4年4月5日)山口県岩国市錦見6丁目
川西 かわにし(昭和35年4月16日)山口県岩国市川西2丁目
柱野 はしらの(昭和9年12月1日)山口県岩国市柱野
欽明路 きんめいじ(平成2年9月27日)山口県玖珂郡玖珂町中野口
玖珂 くが(昭和9年12月1日)山口県玖珂郡玖珂町拳石
周防高森 すおうたかもり(昭和9年12月1日)山口県玖珂郡周東町下久原
米川 よねかわ(昭和9年12月1日)山口県玖珂郡周東町差川
高水 たかみず(昭和9年3月28日)山口県熊毛郡熊毛町原
勝間 かつま(昭和9年3月28日)山口県熊毛郡熊毛町呼坂
大河内 おおかわち(昭和62年3月27日)山口県熊毛郡熊毛町大河内
周防久保 すおうくぼ(昭和9年3月28日)山口県下松市河内
生野屋 いくのや(昭和62年3月27日)山口県下松市生野屋
周防花岡 すおうはなおか(昭和7年5月29日)山口県下松市末武上
櫛ヶ浜 くしがはま(昭和3年2月11日)A山口県徳山市久米院内
岩徳線(がんとくせん)は、山口県岩国市の岩国駅から周防高森駅を経て山口県周南市の櫛ヶ浜駅に至る。山陽本線の短絡線として建設され、かって山陽本線を名乗ったこともある。川西で錦川鉄道(元・国鉄岩日線)を分岐、新幹線にほぼ平行したルートで櫛ヶ浜へ。西岩国の駅舎は日本三大奇橋のひとつ「錦帯橋」をイメージして建てられた。1979年には永久保存のための復元工事がなされ、ポーチ、木製の改札ラッチなどに古き好き時代を偲ぶことができる。錦帯橋へは徒歩約15分
列車運行上は、山陽本線櫛ヶ浜駅から山口県周南市の徳山駅の間を含む。そもそもは山陽本線の短縮線として旧山陽道沿いに建設されたため、やや急な勾配と長いトンネル区間を有する。区間(営業キロ):岩国〜高水〜櫛ヶ浜 43.7km(川西〜森ヶ原信号場間(1.9km)は、錦川鉄道錦川清流線と重複)
軌間:1067mm  駅数:15(起終点駅含む。他に信号場1)
複線区間:なし(全線単線)
電化区間:なし(全線非電化)
1920年代に建設が始められた岩徳線は、1934年に完全開業に到った。全通後はただちに山陽本線の一部とされ、元の山陽本線部分は柳井線と改称された。しかしその後、山陽本線の複線化が計画された際、勾配やカーブが多く、長大トンネル(欽明路トンネル)をもう1本掘らねばならないことから、複線化は元の山陽本線である柳井線経由で行うこととなった。複線化完了後は、柳井線は山陽本線に再編入され、こちらは岩徳線に改称し地域輸送路線となり、現在に到る。
1929年(昭和4年)4月5日 【開業】岩徳線 麻里布〜岩国(3.7km) 
1932年(昭和7年)5月29日 【線名改称】岩徳線→岩徳東線(岩徳西線開業にともなう)
1934年(昭和9年)12月1日 【延伸開業・全通】岩国〜高水(25.1km) 
1956年(昭和31年)4月16日 気動車(ディーゼルカー)が運転される。
1971年(昭和46年)2月28日 岩徳線での蒸気機関車の運転を終了
1974年(昭和49年)10月1日 【貨物営業廃止】全線(-43.7km)
1987年(昭和62年)4月1日 【承継】西日本旅客鉄道

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