C571
姫新線 姫路〜新見間 158.1kmへ

姫新線は全線を直通する列車はなく,運転系統も佐用・上月と津山で完全に3分割されている。
キハ40 キハ47
キハ40 キハ47
キハ120 キハ120

⇔ キハ47型 姫新線 播磨徳久−三日月
中国地方のローカル線 > 姫新線

姫路 ひめじ(明治21年12月23日)兵庫県姫路市駅前町御殿前
播磨高岡 はりまたかおか(昭和5年9月1日)姫路市西今宿3丁目
余部 よべ(昭和5年9月1日)兵庫県姫路市青山
C57
姫路〜佐用・上月間は
キハ40・47型が使用されている。姫路〜余部・播磨新宮間にも区間列車が設定されており,20分ヘッドでの運転となる時間帯も。佐用・上月〜津山〜新見間はキハ120またはキハ40の運転になる。

太市 おおいち(昭和6年12月23日)兵庫県姫路市相野
龍野 ほんたつの(昭和6年12月23日)兵庫県龍野市龍野町中村
東背崎 ひがしはしさき(昭和6年12月23日)龍野市神岡町大住寺
播磨新宮 はりましんぐう(昭和7年7月11日)揖保郡新宮町新宮
千本 せんぼん(昭和9年3月24日)兵庫県揖保郡新宮町千本
西栗栖 にしくりす(昭和9年3月24日)兵庫県揖保郡新宮町鍛冶屋
三日月 みかづき(昭和9年3月24日)兵庫県佐用郡三日月町三日月
播磨徳久 はりまとくさ(昭和10年7月30日)佐用郡南光町下徳久
佐用 さよ(昭和10年7月30日)兵庫県佐用郡佐用町間島田
上月 こうづき(昭和11年4月8日)兵庫県佐用郡上月町上月
美作土居 みまさかどい(昭和11年4月8日)岡山県英田郡作東町土居
美作江見 みまさかえみ(昭和9年11月28日)英田郡作東町川北
楢原 ならはら(昭和29年10月1日)岡山県英田郡美作町楢原上
林野 はやしの(昭和9年11月28日)岡山県英田郡美作町栄町
勝間田 かつまだ(昭和9年11月28日)岡山県勝田郡勝央町勝間田
西勝間市 にしかつまだ(昭和38年10月1日)岡山県勝田郡勝央町黒坂
美作大崎 みまさかおおさき(昭和9年11月28日)岡山県津山市福力
東津山 ひがしつやま(昭和3年3月15日)岡山県津山市川崎 
津山 つやま(大正12年8月21日)岡山県津山市大谷
院庄 いんのしょう(大正12年8月21日)岡山県津山市宮
実作千代 みまさかせんだい(大正12年8月21日)久米郡久米町領家
坪井 つぼい(大正12年8月21日)岡山県久米郡久米町中北上
美作追分 みまさかおいわけ(大正12年8月21日)真庭郡落合町上河内
美作落合 みまさかおちあい(大正13年5月1日)真庭郡落合町西原
古見 こみ(昭和33年4月1日)岡山県真庭郡落合町古見
久世 くせ(大正13年5月1日)岡山県真庭郡久世町久世
中国勝山 ちゅうごくかつやま(大正14年3月15日)真庭郡勝山町勝山
月田 つきだ(昭和5年12月11日)岡山県真庭郡勝山町月田
富原 とみはら(昭和5年12月11日)岡山県真庭郡勝山町若代
刑部 おさかべ(昭和5年12月11日)岡山県阿哲郡大佐町小阪部
丹治部 たじべ(昭和5年12月11日)岡山県阿哲郡大佐町丹治部
岩山 いわやま(昭和4年4月14日)岡山県新見市上熊谷
新見 にいみ (昭和3年10月25日)岡山県新見市西方
JR姫新線・・・ローカル線にのんびり揺られて宿場町と美作三湯を訪ねる
街道筋の町々を結んで「赤とんぼ列車」は走る
 姫路から岡山県北部の新見へといたる姫新線。全長158・1キロ、新見から広島に通じる芸備線と合わせると320キロ近くにもなり、両線で中国地方の山間部を東西に貫いている。
 路線は概ね、かつての出雲街道に沿っていて、果たしてきた役割も街道時代と変わらない。つまり京阪神と街道筋に発展してきた町々、そして山陰地方を結ぶための路線であった。

国鉄時代には急行「みささ」「みまさか」などが長編成で走っていたが、中国自動車道の開通とともに一気に寂れ、今では各駅停車がのんびり走る典型的なロ木造モルタルの駅舎が残る本竜野駅。利用客は多いローカル線となっている。

 現在、姫新線を走り通す列車はない。姫路〜播磨新宮〜佐用〜津山〜新見と小刻みに運用が分かれていて、それぞれ通勤・通学輸送に徹したダイヤがくまれています。
日中は数時間列車が来ないことも珍しくなく、朝夕以外はガラガラで走っているのが現状です。 そんな路線なので、全線完乗を目的としている鉄道ファンを除けば、観光利用もほとんどない。しかし、旧街道沿いの路線だけあって、実は見どころは少なくない。

播磨の山あいを走る「赤とんぼ列車」。西栗栖一三日月間⇔
姫新線(きしんせん)は、兵庫県姫路市の姫路駅から津山駅を経て岡山県新見市の新見駅に至る。中国山地の山間を通るローカル線。沿線に湯郷温泉などの温泉地への入口林野、蒜山高原への入口中国勝山などを控え、山陽(瀬戸内海側)と山陰(日本海側)を結ぶルートで陰陽連絡線の一つ。1970年代(昭和50年代)以降中国自動車道が開通して自家用車や観光バスに観光客が転移し、さらに1994年の智頭急行線の開業で、陰陽連絡線としての役目もなくなると、地域輸送が中心となった。また、津山と京阪神とを結ぶ役割も、主に高速バス(中国ハイウェイバス)に委ねられいる。芸備線(一部は伯備線を経由)とともに中国地方中央部の谷間を縦断する路線。
路線距離(営業キロ):158.1km  軌間:1067mm 駅数:36駅(起終点駅含む)
⇔本竜野駅
複線区間:なし(全線単線)  電化区間:なし(全線非電化)
1936年(昭和11年)10月10日 - 作備線及び因美線 東津山〜津山間を姫津線に編入、姫路〜新見間、津山〜津山口間が姫新線となる。
1944年(昭和19年)6月1日 - 中国鉄道国有化により、津山〜津山口間を津山線に編入。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により西日本旅客鉄道が承継。全線の貨物営業が廃止。
1989年(平成元年)11月1日 - 佐用〜新見間の一部列車でワンマン運転開始。
2001年(平成13年)3月3日 - 全線でワンマン運転開始。

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